日本統治下の台湾では「幻の歯科医師」が生まれ、太平洋戦争では「歯科医師が医師に転向」していた —— 医師不足が生み出した歴史

目次
- 台湾の「幻の歯科医師」とは何か
- 戦争末期の医師不足と歯科医師転向政策
- 敗戦後の処理と医師資格授与
- 歴史的意義
1. 台湾の「幻の歯科医師」とは何か
100年以上前の台湾で、ある不思議な資格が存在していました。それが「幻の歯科医師」です。この表現は、医学校の卒業生が歯科臨床経験を積むことで得られる資格を持ちながらも、実際には誰一人として歯科医として働かなかったという、極めてユニークな歴史から生まれました。
1.1 「幻の歯科医師」が生まれた背景
1895年の日清戦争後、台湾は日本の統治下に入りました。当初、台湾には近代的な歯科医療の仕組みがまったく存在しませんでした。19世紀末の台湾では、歯が痛い場合の治療といえば、道士の「符仔」(まじない用のお札)や「霊丹」(符仔を焼いた灰)といった民間療法に頼るしかありませんでした。
日本が台湾を統治するようになると、1906年(明治39年)に台北医院の外科部に「歯科治療室」が創設されました。その後、日本本土から歯科の専門家が派遣され、徐々に近代的な歯科医療が台湾に根付いていきました。
1.2 台湾独自の制度:医学校卒業生の歯科資格
台湾統治初期、歯科医師の不足という課題を解決するため、台湾総督府は独創的な法規制を整備しました。その内容は以下の通りです。
「医学校の卒業生が台北医院または日赤病院で1年間の歯科臨床を経験した者には、歯科専門標榜証明書を与え、歯科医療に従事することができる」
制度上、これは医師が歯科医へと転職するための道を開くものでした。一見すると、医療人材の有効活用を図る合理的な方策に思えます。
1.3 なぜ「幻」となったのか
1910年から1929年の約20年間で、この制度により計20名の医学校卒業生が歯科専門標榜証明書を取得しました。しかし、驚くべきことに、その20名の中で実際に歯科医療に転業した者は誰一人いませんでした。
その理由は単純ながら切実でした。当時の医師たちは毎日の診療業務が極めて忙しく、わざわざ専門分野を変えてまで歯科医療を兼業することは現実的に不可能だったのです。つまり、資格は存在しても、実際には機能しない医師が20名生まれたということになります。この現象から、この資格は「幻の歯科医師」と呼ばれるようになったのです。
2. 戦争末期の医師不足と歯科医師転向政策
2.1 なぜ医師が足りなくなったのか
1941年12月の太平洋戦争開戦により、日本の医療システムは劇的な危機に直面しました。医師の実数の推移を見ると、戦争がどれほど深刻な影響をもたらしたかが一目瞭然です。
| 時期 | 医師数 | 開戦時との比較 |
|---|---|---|
| 1937年(昭和12年) | 約61,800名 | — |
| 1941年12月(戦争開戦時) | 約67,600名 | 100% |
| 1942年(開戦1年後) | 約50,600名 | 74.8% |
| 1943年(開戦2年後) | 約34,400名 | 50.9% |
| 1944年(開戦3年後) | 約11,100名 | 16.4% |
医師数は3年間で16%にまで低下してしまいました。その理由は、医師たちが軍医として戦地に動員されたため、国内の医療体制が著しく崩壊したのです。同時に、一般の診療所の数も1941年時点の約36,000カ所から1945年には6,607カ所へと激減し、敗戦時には開戦時の18%にまで落ち込みました。
2.2 政府が採った対策
このような危機的状況に対応するため、日本政府は異例の措置を講じます。1944年(昭和19年)、歯科医師の医学教育を強化し、歯科医専卒業生が医学専門学校の上級学年に編入できるようにしました。さらに、1945年(昭和20年)の最後の局面では、より大胆な政策が実行されようとしました。
2.3 二つの転向政策:1945年4月
戦争最終局面の昭和20年4月、政府は歯科医師から医師への転職を促進するために、二つの異なる制度を設計しました。
2.3.1 第一の制度:医師免許の特例課程
1945年4月5日、勅令第216号により「医師免許ノ特例」が公布されました。この勅令の内容は以下の通りです。
- 対象者:官公立または文部大臣指定の私立歯科医学専門学校を卒業し、1年以上の診療経験がある歯科医師
- 試験方式:医師国家試験に合格することが条件
- 期間:合格後、6ヶ月以上の医科診療経験を積むこと
- 特例措置:施行後3年以内に医師試験に合格した者には、1年間の臨床修練を不要とする特例を認める
この制度の狙いは、短期間で多くの歯科医師を医師に転職させることでした。同月24日には、厚生省が都道府県に対して、歯科医師向けの医学試験準備講習会を開催するよう指示しました。講習会では、医学専門学校の教授や官公立病院の医員が講師として、医学の基礎知識を教授することが予定されていました。
講習は1945年6月1日から7月30日の55日間、毎日6時間(合計330時間)で実施される計画でした。試験科目は生理学(20時間)、病理学(30時間)、衛生学(20時間)、内科学(100時間)、外科学(100時間)、産婦人科学(30時間)、皮膚科学(20時間)、耳鼻咽喉科学(15時間)、眼科学(15時間)に及びました。願書提出期限は7月31日、試験実施日は9月15日~19日で、札幌、仙台、宇都宮、東京、新潟、岐阜、京都、岡山、高松、熊本など11カ所で予定されていました。
講習会の実施状況
講習会は全国で開催されました。公的記録に基づく確認できる範囲では以下の通りです。
- 東京都での受講者
- 東京帝国大学:102名
- 東京慈恵会医科大学:125名
- 東京医学歯学専門学校:140名
- 小計:367名
- 全国推定受講者:約6,000名
2.3.2 第二の制度:医専臨時課程
並行して、別の仕組みも準備されていました。慶応義塾大学医学部付属医学専門部と東京慈恵会医科大学付属医学専門部に、歯科医師に限定した特別課程(慶大では「臨時科」、慈恵会医大では「専修科」)を設置し、1年間の修課で医師資格を取得できるという制度です。
この制度は、国家試験合格を要さず、短期の教育課程修了のみで医師免許を授与するという、より直接的な道を提供していました。慶大医専には、昭和20年2月に文部省から歯科医専卒業生の再教育について通達が届き、同月19日に文部大臣指定校の歯科医専卒業を受験資格として160名の歯科医師の入学募集が発表されました。
2.4 実施直前の敗戦
しかし、この野心的な政策は実行途中で終焉を迎えます。1945年8月15日、日本は無条件降伏を宣言しました。医師転向政策は5月頃から始まっていましたが、多くの歯科医師がこれら両制度を完遂する前に、戦争は終わったのです。
3. 敗戦後の処理と医師資格授与
3.1 占領下での制度継続と医師資格授与
敗戦は戦時政策の自動的な廃止を意味するものではありませんでした。占領軍(GHQ/SCAP)の公衆衛生福祉局(Public Health and Welfare Section: PHW)の記録によれば、戦時中に始まった歯科医師の医師転向政策は、占領下で続行され、一定の成果を上げました。
特に注目すべき点は、占領軍が戦時中に合格した歯科医師に対して医師免許を授与することを認め、その過程を管理したことです。この判断は、戦後日本における医師資格の正統性を確保するための重要な決定でした。
3.2 特例課程における合格と資格授与
特例課程の試験結果
昭和20年9月15日~19日の医師試験では、特例課程での受験者から73名が合格しました。合格率は約3.2%という極めて厳しいものでした。
合格者は、その後6ヶ月以上の臨床修練が義務付けられ、修練終了後に医師免許を授与されるという段階を踏みました。合格発表は昭和21年2月4日付で行われました。
医師資格取得者の内訳:
- 特例課程合格者:73名
- 東京医学歯学専門学校卒業者:78名
- 九州医学歯学専門学校編入者:40名(定員)
- 慶応義塾大学医学部付属医学専門部臨時科:160名
- その他機関での転向者
3.3 戦時から戦後への医師資格の正統性
敗戦後に医師資格を取得した歯科医師たちは、戦時の緊急措置が戦後の占領期間を通じて一定の正統性を保持されたことを示します。占領軍のPHWは、以下の理由から戦時中の転向医師を認可しました。
- 戦時教育の実績:歯科医師たちは医学系統の教育を受けており、医師としての基礎知識を有していた
- 年齢と責任感:転向した歯科医師は、通常の医学生よりも年齢が高く、責任感が強かった
- 集約的な教育内容:短期間でも内容が濃密であり、臨床実習の機会が多かった
PHWの記録には、「graduate dentists who dropped their dental practice in order to take a course of medicine」(歯科医療を放棄して医学課程を受講した歯科医師卒業生)に対して、標準的な医学生より前倒しで医師試験受験を認めるべきとの判断が記されています。これは、戦時中に開始された歯科医師の医師転向が、占領軍の医療政策の中でも認容される価値があると評価されたことを意味するのです。
4. 歴史的意義
「幻の歯科医師」の物語と戦争末期の医師転向政策は、わずか数十年の間に起きた医療制度の劇的な変化を象徴しています。
台湾の統治時代に作られた「幻の歯科医師」制度は、医療人材の有効活用という理想と、現実の職業選択との間にある深い溝を浮き彫りにしました。そして、太平洋戦争末期の医師転向政策は、総力戦の中で国家がいかに医療人材を統制しようと試みたか、その必死の努力を記録しています。
最も興味深いのは、敗戦という国家的災厄を経験しても、戦時中に開始された歯科医師の医師転向が、占領軍によって認容され、実現したという事実です。
これらの医師たちは、医療という人道的価値が、国家の政治的断層を超えて持続することを示すものに他なりません。戦時の日本政府と占領軍の医療政策の違いを超えて、医療資源の活用という実務的判断が優先された結果、戦時中の応急措置が戦後の医療体制の基礎の一部となったのです。
参考文献
- IRUCAA@TDC : 戦時下の歯科医学教育 第6編太平洋戦争末期における歯科医師の医師転向策と敗戦後の経緯
http://doi.org/10.15041/tdcgakuho.121.281 - 6) 日本が築き上げた台湾の現代歯科医学(日本歯科医史学会第35回(平成19年度)学術大会一般演題抄録) – 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/11497173 - 6)日本が築き上げた台湾の現代歯科医学(日本歯科医史学会第35回(平成19年度)学術大会講演事後抄録) – 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/11497209
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執筆・監修 中村 瞬
かわせみデンタルクリニック 院長 / 歯学博士(歯科麻酔学)/ 日本歯科麻酔科学会 認定医
医療記事をほぼ毎日更新中・TV取材多数
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