「私、痛みに弱いんです」は本当? ―― 歯科治療における痛みの感じやすさの真実とは
目次
- はじめに
- 結論から言うと
- 意外な実験結果
- 歯科治療ではどうなる?
- 脳科学が明らかにした秘密
- 矯正治療での実際の例
- 特殊なケース
- 患者タイプ別まとめ
- 歯科医院で使えるコツ
- おわりに
1. はじめに
歯科医院で診療していると、「先生、私かなり痛みに弱い方なんです」と前置きされる患者さんによく出会います。
ご本人は真剣そのものですが、その「痛みに弱い」という自己イメージは、どこまで現実を反映しているのでしょうか。
実は、世界中で行われた研究を見ていくと、
「自分は痛がりだと思っていること」と「からだが本当に痛みを感じやすいこと」は、必ずしも同じではないことがわかってきました。
しかし一方で、歯科のように不安を感じやすい状況では、その自己イメージが痛みの感じ方に大きく影響することもあるのです。
この記事では、専門的なデータに基づきつつ、できるだけ日常語で、歯科の痛みと心の関係を一緒に整理していきます。
2. 結論から言うと
先に結論をまとめると、次のようになります。
日常的・一般的な状況では
→ 「私は痛がりだ」という自己申告と、実際の痛みの感じやすさは、ほとんど関係がない
しかし歯科治療のように
- 何をされるか分からない
- 過去に嫌な経験がある
- “痛い治療” というイメージが強い
こうした状況では、
→ 不安や「最悪の事態を想像するクセ」が、実際の痛みの感じ方を大きく変えてしまう
言い換えると、「私は痛がり」という“ラベル”そのものより、その裏にある不安や考え方のクセが、痛み体験に影響しているということです。
3. 意外な実験結果:自己申告「痛がり」と実際のズレ
「痛がりですか?」と聞いて、痛みテストをしてみたら…
505人の健康な成人を対象にした研究があります。
参加者にまず「自分は痛みに敏感だと思いますか?」と自己評価してもらい、そのあとで熱い刺激を使って、
- どの温度で「痛い」と感じ始めるか(痛みの閾値)
- どこまでなら耐えられるか(痛みの耐性)
をていねいに測定しました。
その結果は、多くの人の直感と反対でした。
- 自己申告「私は痛がりです」と
実際の痛みの感じやすさ(閾値・耐性)の関係 → ほぼゼロ - 自己申告「私は痛がりです」と
不安の強さ、ネガティブな感情の傾向 → はっきりと関係あり
つまり、
「痛がりだと感じている人=からだのセンサーが敏感な人」
ではなく、
「痛がりだと感じている人=心配しやすい、悪い方に考えやすい人」
という構図が見えてきます。
ポイント:
この時点では、「痛がり」という自己イメージは、からだではなく、心の特徴をより反映していると考えられます。
4. 歯科治療の現場ではどうなる?
「実験室では関係がないなら、歯科でも関係ないのか?」というと、話は少し変わってきます。
4.1 不安が「頭の中の痛みスコア」を吊り上げる
根管治療を予定している患者さん66名を対象にした研究があります。
治療前に、
- 歯科に対する不安の強さ
- 「どれぐらい痛い治療になりそうか」という予想
- 実際に治療中に感じた痛み
をそれぞれ数値で評価してもらいました。
その結果:
- 歯科不安が強い人ほど、「これから受ける治療はかなり痛いに違いない」と予想する痛みスコアが高い
- しかし、実際に治療中に感じた痛みの強さとは、ほとんど関係がない
イメージしやすいように、5段階の★マークで表すと:
- 不安が強い人の「頭の中の予想」
→ ★★★★☆(4つ星レベルの“きっと痛い”イメージ) - 実際に治療中に感じた痛み
→ ★★☆☆☆(2つ星レベルの「想像よりはマシ」な痛み)
この「予想」と「現実」のギャップが大きいほど、患者さんは
「思っていたよりも、全然痛くなかった」
と感じることになります。
ここでのポイント:
“不安” は、これから起こるかもしれない痛みのイメージ(予想の痛み) を大きくしますが、
実際の治療中の痛みそのものを決めているわけではないということです。
4.2 感覚に敏感+「最悪の事態」を考えるクセ=歯科不安の土台
日本人428人を対象とした研究では、歯科不安に影響する心の特徴を、かなり詳しく解析しています。
キーワードになるのは次の3つです。
- 感情をうまく言葉で表現できない(自分の気持ちがよく分からない)
- 音や光、触覚など、いろいろな刺激に敏感だと感じる
- 痛みが起こると「きっと最悪の事態になる」と考えやすい(痛み災害化思考)
この3つがどうつながっているかを図にすると、こうなります:
自分の気持ちがよく分からない
↓(強い影響)
「自分は感覚に敏感だ」と感じやすくなる
↓(中程度の影響)
歯科治療が怖くなる
同時に…
自分の気持ちがよく分からない
↓(強い影響)
痛みを「最悪の事態」と結びつけて考えやすくなる
↓(中程度の影響)
歯科治療がますます怖くなる
つまり、
「私は痛みに敏感で、ちょっとしたことでも大ごとになってしまう気がする」
という心のストーリーができあがると、歯科医院そのものが、とても怖い場所に感じられてしまうのです。
5. 脳科学が教えてくれる「痛みの予想」の力
「何をされるか分からない」が一番つらい
台湾のグループは、歯に電気刺激を与えながら、fMRI という装置で脳の活動を調べました。
実験では、
- いつも弱い刺激だけが来る「予測できる状態」
- 弱い時もあれば強い時もある「予測できない状態」
をつくり出し、人がどう痛みを感じるかを比べています。
結果はとても示唆的でした。
- 予測できる弱い刺激 → 「まあこのくらいなら平気」と落ち着いて感じる
- いつ強い刺激が来るか分からない状態 → 同じくらいの強さでも「より痛く」感じる
特に、「痛みを最悪の方向に考えてしまうクセ」が強い人ほど、この「予測できない状況」で痛みが増幅していました。
脳の中では、記憶や学習に関わる「海馬」という部分が強く動いており、
「前にもイヤなことがあった」「また同じことが起きるかも」
といったストーリーが、痛みの感じ方に上乗せされていると考えられます。
歯科でいえば:
- 「次に何をされるんだろう…」
- 「急にズキッと来ないだろうか…」
という “見えない痛みへの構え” が、実際の痛みを増やしてしまう、ということです。
6. 矯正治療でわかった「心配性」と痛みの関係
矯正治療中の44人を追跡した研究では、痛みを「大ごとに捉えやすいタイプ」ほど、装置後の痛みを強く感じていることが分かりました。
この研究では、「痛み災害化スケール(PCS)」という質問票で、
- 痛みが出たときに、どれくらい「もうダメだ」「ひどいことになる」と考えやすいか
を数値化しています。
結果として、
- PCS の点数が1点上がるごとに、「痛みを強く感じるリスク」が約3%増える
- 痛みのピークは、装置装着から24時間後に出やすい
- こうした傾向は、装置を変えた3回分すべてで一貫していた
というデータが出ています。
つまり矯正では、
「どんな痛みも、すごく大変なことだと思ってしまう人」ほど、同じ処置をしても「つらい」と感じやすい
と言えます。
7. 特殊なケース:本当に神経が過敏な痛み
これまで見てきたのは主に「心の側」の話ですが、からだ(神経)の側に原因があるケースも存在します。
その典型が「異常歯痛(Atypical Odontalgia)」と呼ばれる状態です。
この痛みは、
- 見た目には特に問題がないのに
- 持続的に歯の痛みを訴える
- 治療してもなかなか良くならない
という特徴があり、原因として「神経の過敏さ(中枢感作)」が疑われています。
47人の異常歯痛患者と69人の健康な人を詳細に検査した研究では、
- 87%の患者さんに、口の中の感覚の異常がみられた
- 同じ力で押しても、患者さんの方がずっと痛く感じる
- 冷たい刺激にも、少しの変化で痛みを感じてしまう
といった結果が出ています。
このようなケースでは、
「私は痛みにすごく敏感なんです」
という自己認識は、実際に神経レベルでの過敏さを反映している可能性が高く、
痛みの評価や治療のアプローチも、通常の歯痛とは変える必要があります。
8. 患者タイプ別に見た「痛がり」の正体
ここまでの知見を、ざっくりタイプ分けしてみます。
| タイプ | 「痛がりだと思う」と「実際の痛み」の関係 | 背景 |
|---|---|---|
| 一般的な患者さん | ほとんど関係なし | 自己イメージの多くは不安や性格による |
| 歯科不安が強い人 | 頭の中の「予想される痛み」が大きくなる | 過去の経験や情報で不安が増幅 |
| 「最悪の事態」を考えがちな人 | 実際の痛みも強く感じやすい | 痛みを大きな脅威として解釈 |
| 異常歯痛などの神経因性痛 | 自己認識と実際の過敏さが一致 | 神経系の感作・機能変化 |
患者さんが「私、痛がりで…」と言われたとき、
その言葉がこのどのタイプに近いのかを意識すると、対応の仕方が変わってきます。
9. 歯科医院で今日から使える5つの工夫
9.1 「何をするか」をできるだけ具体的に伝える
- 「ちょっと風をかけます」よりも
- 「今から一瞬風をかけるので、少しでもしみたり痛みを感じたら左手を上げてください」
の方が、患者さんの脳にとっては「予測可能」で安心です。
9.2 「多くの人の実感」を共有する
- 「抜歯は痛い治療です」ではなく
- 「この治療を受けた方の多くが、『思っていたよりずっと楽でした』とおっしゃっています」
といった伝え方にすることで、頭の中の予想疼痛スコア(予想される痛み)を減らすことができます。
9.3 コントロールできる感覚を持ってもらう
- 「痛かったら手を上げてください。すぐに止めます」
- 「途中で休憩もできますからね」
といった一言で、
「もう後戻りできない治療」から「自分でコントロールできる治療」に印象が変わります。
9.4 不安や心配性を“見える化”する
詳しい質問票までは使わなくても、
- 「今日の治療について、どのくらい不安がありますか? 0~10で教えてください」
と尋ねるだけでも、患者さんの「心の準備状態」を知る手がかりになります。
9.5 言葉の選び方を少しだけ変える
- 「痛かったら我慢してください」ではなく「もし違和感や痛みがあれば、遠慮なく教えてください」
- 「すごく痛いこともあります」ではなく「人によっては少し強めに感じることがあります。その場合はすぐ弱めますね」
同じ内容でも、「コントロールできる感覚」を添えて伝えることがポイントです。
10. おわりに
「私、痛みに弱いんです」という一言の背景には、その人なりの経験や性格、そしてときには神経レベルの変化まで、さまざまな要素が隠れています。
- 多くのケースでは、それは「からだのセンサーが特別に弱い」という意味ではなく、
不安や心配の強さを表すサイン - 一部のケースでは、実際に神経が過敏になっている可能性があり、
診断と治療の工夫が必要なサイン
いずれの場合も、患者さんの「痛み」に対する不安やイメージを丁寧に扱うことで、実際の治療体験は、大きく変えていくことができます。
歯科医療者と患者さんが、このような知見を共有できれば、
「痛みが怖いから歯医者に行けない」という方を、少しずつ減らしていけるはずです。
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異常歯痛患者における口腔内体性感覚異常―管理された多施設定量的感覚検査研究
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