歯医者の歴史は6万年前から始まった?ネアンデルタール人の虫歯治療と、人類が積み重ねてきた”歯を治す”記録
2026年、シベリアの洞窟で発見された約5万9000年前のネアンデルタール人の奥歯に、石器で穿孔した痕跡が確認されました。これはホモ・サピエンス以外で初めて記録された歯科治療の証拠です。人類が歯の痛みと戦い、治療を試みてきた記録を時系列と種別ごとにわかりやすく解説します。

目次
- はじめに:歯科治療は「現代医学」ではなかった
- 世界の発見地マップ:地図で一目わかる歯の治療史
- 時系列で見る「歯を治す」人類の歴史
- 種別で見る「歯のケア・治療」の比較表
- 今回の新発見が持つ意義
- 地理的に見えてくるパターン
- 参考文献
1. はじめに:歯科治療は「現代医学」ではなかった
歯が痛い。膿んでいる。放っておけない——この切実な感覚は、何も現代人だけのものではありません。考古学の発見が積み重なるにつれ、人類が何万年も前から歯の痛みに向き合い、なんらかの処置を試みてきたことが明らかになってきました。
2026年5月、その歴史が大きく塗り替えられました。ロシア・シベリアの洞窟で発見された約5万9000年前のネアンデルタール人の奥歯に、石器で意図的に穿孔した痕跡が確認されたのです1。これはホモ・サピエンス(現生人類)以外の種で初めて記録された歯科治療の証拠であり、それまで知られていた最古の歯科治療例より4万年以上古い事実として、世界の研究者に衝撃を与えました2,3。
この記事では、約190万年前の「爪楊枝使用の痕跡」から始まり、今回の新発見に至るまで、各時代・各地域・各人類種でどのような歯の処置が行われてきたかを、時系列・地図・種別比較の3つの視点から整理してご紹介します。
2. 世界の発見地マップ:地図で一目わかる歯の治療史
下の地図は、これまで確認されている「歯のケア・治療の痕跡」を持つ遺跡12か所を世界地図上にプロットしたものです。マーカーの色と形は人類の種別を表しており、右側の一覧表に番号・発見地・年代・種別・処置の内容をまとめています。
人類の歯科治療史:世界の発見地マップ

地図の見方
- 茶色の丸(○):ホモ・ハビリス/初期ホモ・エレクトゥス(アフリカ・ジョージア)
- オレンジのひし形(◆):ネアンデルタール人(ヨーロッパ)
- 赤い星(★):ネアンデルタール人【今回の新発見・シベリア】
- 青い四角(■):ホモ・サピエンス(旧石器〜新石器時代)
- 緑の四角(■):ホモ・サピエンス(文明期以降)
地図を見渡すと、アフリカを起点として、ユーラシア大陸全体へ、さらに中米へと歯科行動の痕跡が広がっていった様子が一目でわかります。また、ネアンデルタール人の発見地がスペイン(西ヨーロッパ)〜クロアチア(中央ヨーロッパ)〜シベリア(中央アジア)と、ユーラシアの広大な範囲に分布していることも注目です5,7,1。
3. 時系列で見る「歯を治す」人類の歴史
◆ 約190万年前:ホモ・ハビリス(アフリカ・ジョージア)― 最初の「爪楊枝」
現時点で確認されている最も古い「歯のケア」の痕跡は、約190万年前のものです。アフリカのオルドヴァイ渓谷(ケニア)で発見された下顎臼歯(OH 60)には、繰り返し何かで探られたとみられる細かな溝が確認されており、木や骨製の爪楊枝状のものを使ったと考えられています4。また、ジョージア(コーカサス)のドマニシ遺跡でも約180万年前の顎骨に同様の爪楊枝使用痕が見つかり、歯周病様の損傷も確認されています4。歯間の食べかすを取り除くという行為が、人類の最も初期の段階から存在していたことが示唆されます。
◆ 約13万年前:ネアンデルタール人(クロアチア)― 痛みを和らげる爪楊枝
クロアチアのクラピナ遺跡(約13万年前)から発掘されたネアンデルタール人の顎骨には、4本の歯に爪楊枝によるものと見られる溝・亀裂・擦り傷が確認されています5。これらの痕跡は、萌出不全(埋伏歯)による痛みを和らげようとして、繰り返しつついた結果だと分析されています。痛みの原因を特定し、そこに直接アプローチするという行動の原型がここに見られます5。
◆ 約5万〜15万年前:ネアンデルタール人(スペイン・バレンシア)― 歯周病への爪楊枝対処
スペインのバレンシア州コバ・フォラダ遺跡(約5万〜15万年前)で見つかったネアンデルタール人の上顎骨には、虫歯はないが歯周病による骨吸収と重度の歯の磨耗が認められ、上顎左側第三小臼歯および第一大臼歯の歯間面に爪楊枝によるものと見られる溝が確認されています6。これは歯周病による痛みを爪楊枝で緩和しようとした、最古の保存療法的歯科処置の記録です6。
◆ 約4万〜5万年前:ネアンデルタール人(スペイン・アストゥリアス)― 薬草による自己投薬
スペインのエル・シドロン遺跡(約4万〜5万年前)のネアンデルタール人の歯石DNAを分析した研究(Nature, 2017年)では、歯膿瘍を持つ個体がポプラの樹皮(サリチル酸=アスピリン様成分を含む)やペニシリン系カビ(Penicillium)を摂取していたことが明らかになりました7。「薬効成分を持つ植物が痛みに効く」という知識を持ち、それを実際に使用していた可能性が示されています8。
◆ 約5万9000年前:ネアンデルタール人(ロシア・シベリア)― 石器による虫歯穿孔【今回の新発見★】
ロシア南部シベリア・アルタイ山脈のチャグルスカヤ洞窟(約5万9000年前)で発見されたネアンデルタール人成人の奥歯に、石器で意図的に穿孔した痕跡が確認されました1。歯の咬合面の中央から歯髄腔(神経・血管が通る部分)に達する深い穴が開けられており、マイクロX線分析では脱灰(虫歯による無機質の溶出)の痕跡も保存されていました2。研究チームは、洞窟内で発見された石器(ジャスパー製)を使って現代人の歯に同様の穴を作る実験を行い、指先で石器を回転させれば数分程度で同形状の穴が作れることを実証しています1,2。
穴の縁が丸みを帯びて滑らかになっており、処置後も長期間その歯で食物を咬んでいたことが示されています3。これは「感染した組織を除去することで痛みを和らげる」という目的を理解した上での、意図的かつ計画的な処置であり、これまでホモ・サピエンス以外では確認されていなかった行動です1,3。論文は2026年5月13日に科学誌「PLOS One」に掲載されました1。
◆ 約1万4000年前:ホモ・サピエンス(イタリア北部)― 打製石器による虫歯清掃
イタリア北部のヴェネト・ドロミテ地方ヴィッラブルーナの岩陰遺跡で、約1万4000年前(後期旧石器時代末期)の25歳前後の男性の骨格が1988年に発見されました9。2015年に再分析されたこの下顎第三大臼歯には、フリント製の石器による4か所の虫歯病巣への介入痕(擦過痕・剥離痕)が走査型電子顕微鏡で確認されています9。論文はScientific Reports(2015年)に掲載され、今回の新発見以前は「最古の外科的歯科治療」として注目されていた発見です9。
◆ 約1万3000年前:ホモ・サピエンス(イタリア北部・ルッカ近郊)― タール状物質による充填
イタリア北部ルッカ近郊のリパロ・フレディアン遺跡では、約1万3000〜1万2740年前の前歯2本(上顎中切歯)に石器による穿孔痕とビチューメン(半固体状の石油系物質)の充填が確認されています10。虫歯病巣を掻爬・拡大して詰め物をするという手順は現代の歯科治療に通じるものがあり、植物繊維や毛髪も充填材に混合されていたことが分析で明らかになっています10。論文はAmerican Journal of Physical Anthropology(2017年)に掲載されました10。
◆ 約9000年前:ホモ・サピエンス(パキスタン)― 弓ドリルによる本格的な穿孔治療
現在のパキスタン・バルチスタン州メヘルガル遺跡では、新石器時代(約7500〜9000年前)の成人9名(計11本の永久第一・第二大臼歯)にフリント製ドリルで穿孔した痕跡が確認されています11。穴の縁が滑らかなことから生前に穿孔されたことが確認され、この歯科治療の伝統は約1500年間継続していたとされます11。当時既に農耕を行っており、炭水化物摂取の増加が虫歯増加の背景にあると考えられています11。論文はNature(2006年)に掲載されました11。
◆ 約6500年前:ホモ・サピエンス(スロベニア)― 蜜蝋による充填
スロベニアで発見された約6500年前の下顎犬歯には、蜜蝋による充填の痕跡が確認されています12。シンクロトロン放射線マイクロCT・赤外線分光分析・加速器質量分析法(AMS放射性炭素年代測定)・走査型電子顕微鏡により、歯と充填材がほぼ同年代であることが確認されました12。死亡直前か直後かは不明ですが、生前充填であれば歯質露出による知覚過敏や亀裂による咬合痛の緩和を目的とした「治療的補綴処置」の最古の証拠となります12。論文はPLOS ONE(2012年)に掲載されました12。
◆ 約3700年前以降:ホモ・サピエンス(エジプト)― 歯科専門職の登場
古代エジプトには紀元前2650年頃、第3王朝ジェセル王に仕えた高官ヘシ=ラーが、その墓碑に「歯科医と医師の中で最も偉大なる者」の称号を持つ記録が残っており、現在確認されている最古の歯科専門職者とされます13。また、紀元前3700年頃の医学ウパ※にはすでに口腔疾患に関する記述があり、薬物療法(口腔塗布薬・含嗽薬)が行われていたと考えられています14。一方、外科的処置の直接的な考古学的証拠は乏しく、エジプト古代医学における歯科は主として保存療法的なアプローチにとどまっていたとされています14。
※「パピルス・ウパ」は後代の資料との区別のため原典確認が必要であり、記述年代には諸説があります。
◆ 約250〜1500年:ホモ・サピエンス(中米・マヤ文明)― ヒスイの象嵌治療
マヤ文明(紀元後250〜1500年)では、石器で歯の表面に小孔を開け、ヒスイ・黒曜石・ターコイズなどの宝石を象嵌する技術が広く行われていました15。2025年の研究では、グアテマラのポポル・ヴー博物館所蔵の下顎第一大臼歯咬合面にヒスイが埋め込まれた例が報告され、歯の内部にコーンビームCTで生体反応(石灰化)が確認されたことから、生前処置であったことが明らかになっています16。従来は装飾とされてきた後歯へのヒスイ象嵌が、虫歯・感染症への治療目的だった可能性が示され、マヤの歯科知識の高さが改めて注目されています16。
※象嵌(ぞうがん)とは、一つの素材の表面を彫り、そこに異なる素材をはめ込んで模様を描き出す伝統的な工芸技法です。「象」は形作る(かたどる)こと、「嵌」ははめ込むことを意味します。
4. 種別で見る「歯のケア・治療」の比較表
これまで判明している主な発見を人類の種別・地域・処置の種類ごとに整理します。
| 年代(概算) | 種別 | 地域 | 処置の種類 | 発見地・出典 |
|---|---|---|---|---|
| 約190万年前 | ホモ・ハビリス/初期ホモ・エレクトゥス | アフリカ(ケニア)・ジョージア | 爪楊枝様器具の使用痕 | オルドヴァイ渓谷・ドマニシ遺跡4 |
| 約13万年前 | ネアンデルタール人 | ヨーロッパ(クロアチア) | 爪楊枝による痛み軽減(埋伏歯) | クラピナ遺跡5 |
| 約5万〜15万年前 | ネアンデルタール人 | ヨーロッパ(スペイン・バレンシア) | 爪楊枝による歯周病様症状の緩和 | コバ・フォラダ遺跡6 |
| 約4万〜5万年前 | ネアンデルタール人 | ヨーロッパ(スペイン・アストゥリアス) | 薬草(ポプラ・ペニシリン菌)による自己投薬 | エル・シドロン遺跡7,8 |
| 約5万9000年前 | ネアンデルタール人 | アジア(ロシア・シベリア) | 石器による虫歯穿孔(意図的除去) | チャグルスカヤ洞窟【★今回の新発見】1,2,3 |
| 約1万4000年前 | ホモ・サピエンス | ヨーロッパ(イタリア北部) | フリント石器による虫歯病巣の掻爬 | ヴィッラブルーナ遺跡9 |
| 約1万3000年前 | ホモ・サピエンス | ヨーロッパ(イタリア北部) | ビチューメン(タール)による充填 | リパロ・フレディアン遺跡10 |
| 約9000年前 | ホモ・サピエンス | アジア(パキスタン) | 弓ドリル(フリント製)による穿孔治療 | メヘルガル遺跡11 |
| 約6500年前 | ホモ・サピエンス | ヨーロッパ(スロベニア) | 蜜蝋による充填処置 | スロベニア12 |
| 紀元前2650年頃〜 | ホモ・サピエンス | アフリカ(エジプト) | 薬物療法・歯科専門職の確立 | エジプト各地13,14 |
| 紀元後250〜1500年 | ホモ・サピエンス | 中米(マヤ文明) | 宝石(ヒスイ等)の象嵌・治療的充填 | グアテマラ等15,16 |
5. 今回の新発見が持つ意義
ネアンデルタール人の「知性」の再評価
今回の発見が持つ最大の意義は、歯科治療の記録を4万年以上遡らせたことではなく、「ホモ・サピエンス以外の人類が外科的な歯科治療を行った」という初の証拠であることです1,3。
研究リーダーのクセニヤ・コロボワ氏(ロシア科学アカデミー)は、この発見について「歯の奥に感染があり、そこを意図的に削れば痛みが和らぐという抽象的な因果推論を持っていたことの証明だ」と述べています3。痛みの原因を特定し、処置方法を考案し、道具を選び、手技を実行するという一連のプロセスには、複雑な認知能力が必要です。ダラム大学の研究者は今回の処置を「根管治療の始まり」と表現しており、歯髄腔を開放して圧力を逃がし感染を緩和するという原理は、現代の根管治療の基本的な概念と一致しています2。
処置後の「生存と使用継続」が意味するもの
穴の縁が丸みを帯び磨耗していることは、ネアンデルタール人が処置後も長期間生存し、その歯で食物を咬み続けたことを示します2,3。これは単に「穴を開けた」だけでなく、処置が一定の効果を発揮し、個体の生存を助けた可能性を示唆する、きわめて重要な証拠です。
残された課題
一方、Scientific American などの報告では一部の専門家が慎重な見方を示しており、穴の原因が外傷や他の要因である可能性も指摘されています17。研究チームは現在、充填材(蜜蝋などの有機物)が使われた痕跡がないかについても追加分析を進めているとのことです3。
6. 地理的に見えてくるパターン
地図で整理すると、いくつかの地理的パターンが浮かび上がります。
ネアンデルタール人の発見地はヨーロッパ〜中央アジアに集中しています5,6,7。クロアチア・スペイン・そして今回のシベリアと、ユーラシア大陸の広い範囲に生息していたことが、歯科行動の痕跡からも確認できます1。特筆すべきは、スペインとシベリアという地理的に非常に離れた地域で、独立して「歯のケア」の行動が発展していた可能性があることです。
ホモ・サピエンスの治療痕の発見地は、ヨーロッパ(イタリア・スロベニア)・南アジア(パキスタン)・北アフリカ(エジプト)・中米(マヤ)と世界各地に広がります9,11,13,15。農耕の普及とともに炭水化物摂取が増え虫歯が増加したことが、こうした地域での歯科治療の発達を後押ししたと考えられています11。
アフリカ(ケニア)のオルドヴァイ渓谷が最も古い「歯のケア」の起点となっており4、そこからユーラシア大陸全体・さらにアメリカ大陸まで、人類の移住とともに「歯を治したい」という行動が広がっていった様子が地図上でよく示されています。「痛みを何とかしたい」という衝動は少なくとも約190万年前に遡り、ホモ・サピエンス固有の行動ではないことが、今回の発見によってさらに明確になりました1,7。コロボワ氏はこの発見が「ネアンデルタール人についての我々の理解を根本から変えるものだ」と語っています3。
参考文献
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https://phys.org/news/2026-05-neanderthal-dentists-stone-drills-cavities.html - Oldest-known evidence of dentistry found in Neanderthal tooth. ABC News Australia (2026)
https://www.abc.net.au/news/science/2026-05-14/oldest-known-evidence-of-dentistry-found-in-neanderthal-tooth/106660580 - Neanderthals used stone drills to treat cavities 59,000 years ago, tooth suggests. The Guardian (2026)
https://www.theguardian.com/science/2026/may/13/neanderthals-stone-drills-treat-cavities-tooth-siberia-dentist - Ungar PS, et al. Man, the Toothpick User. Science / AAAS (2000)
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https://phys.org/news/2017-03-dental-plaque-dna-neandertals-aspirin.html - Neanderthals ‘self-medicated’ for pain. BBC News (2017)
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https://www.heritagedaily.com/2026/04/jade-set-in-molar-raises-new-questions-about-maya-dental-practice/157770 - 59,000-year-old Neanderthal tooth may be oldest evidence of dentistry. Scientific American (2026)
https://www.scientificamerican.com/article/59-000-year-old-neanderthal-tooth-may-be-oldest-evidence-of-dentistry/
執筆・監修 中村 瞬
かわせみデンタルクリニック 院長 / 歯学博士(歯科麻酔学)/ 日本歯科麻酔科学会 認定医
医療記事をほぼ毎日更新中・TV取材多数
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