「言われた通りにできない」から一緒に考えるへ – 歯医者さんと患者さんの新しい付き合い方
目次
- はじめに:なぜ「言うことを聞かない患者さん」では足りないのか
- 3つのキーワードをシンプルに整理する
- 歯周病と定期検診:続かないのは「よくあること」
- 根の治療(根管治療)が途中で終わってしまう理由
- 「来なくなる」にはたいてい理由がある
- 歯科医療全体から見た「一緒に決める」ことの意味
- 歯科におけるコンコーダンスの限界と現実的な活かし方
- いまは「移行期」:歯医者さんと一緒に治す時代へ
1. はじめに:なぜ「言うことを聞かない患者さん」では足りないのか
歯科診療をしていると、よく似た場面に出会います。ブラッシング指導をしても、次回来院時にはまたプラークが多い。根の治療(根管治療)を始めたのに、痛みが落ち着いたところで来院が途絶えてしまう。ナイトガードや保定装置を作っても、「使っていますか?」と尋ねると、患者さんが気まずそうに笑うだけ、という状況です。
そのとき、つい「この患者さんはコンプライアンスが悪い(言うことを守ってくれない)」と感じてしまうことがあります。
しかし患者さんの側には、仕事や家事・育児で時間がない、治療の必要性が自分ごととしてピンと来ていない、歯医者に対する怖さや恥ずかしさが強い、費用が心配など、さまざまな事情があります。
定期的に歯科に通い続けている人は全体の4分の1ほどで、多くの人は途中で中断したり、しばらくしてから再開したりしていることが疫学研究から示されています。
「続かない人がおかしい」のではなく、「誰でも中断しうる」という前提で考えたほうが実態に近いと言えます。
こうした背景から、医療では「守ったか/守らなかったか」だけで患者さんを評価する考え方から、「どうすれば一緒に続けていけるか」を考える方向へ視点を変えようという流れが生まれました。そのときによく使われるキーワードが、コンプライアンス、アドヒアランス、コンコーダンスという三つの言葉です。
2. 3つのキーワードをシンプルに整理する
まず、この三つの違いをイメージしやすいように、簡単な表にまとめます。
| 用語 | だれの視点か | 何を見ているか | イメージ |
|---|---|---|---|
| コンプライアンス | 医療者中心 | 指示を守ったかどうか | 「言った通りにしてくれた?」 |
| アドヒアランス | 医療者+患者 | 一緒に決めた計画をどこまで実行できたか | 「一緒に決めたこと、どこまで続けられた?」 |
| コンコーダンス | 患者と医療者の対等な関係 | 治療の決め方そのもの(対話と合意) | 「どんな治療にするかを、一緒に話し合って決める」 |
2.1 コンプライアンス:言われた通りに守るかどうか
コンプライアンス(compliance)は、「患者が医療者の指示や勧告にどの程度従っているか」を示す指標として、長く使われてきた言葉です。
「1日3回磨いてください」「この薬を朝晩飲んでください」といった指示に対して、患者さんが実際にどれくらい行動できたかを、医療者側の視点から評価します。
ただしこの枠組みでは、「守れなかった理由」や「そもそもその指示が、その患者さんの生活にとって現実的だったかどうか」といった点が見えにくくなります。
そのため、「コンプライアンスが悪い患者」といったラベリングにつながりやすいことが問題として指摘されています。
2.2 アドヒアランス:話し合って決めたことを、一緒に続けられたか
アドヒアランス(adherence)は、コンプライアンスよりも患者さん寄りの考え方です。医療者と患者さんが話し合って治療方針を決め、そのうえで「その計画をどの程度一緒に実行できたか」を見ます。
ここで重要なのは、治療方針を医療者が一方的に決めるのではなく、患者さんの価値観・生活背景・仕事・家庭の事情などを聞いたうえで、「この人にとって現実的なライン」を一緒に探ることです。
続かなかったときも、「守れなかった=ダメ」と評価するのではなく、「どこがやりにくかったのか」「どう変えれば続けやすくなるのか」を共に考え直す、という発想になります。
2.3 コンコーダンス:どんな治療にするかを、一緒に決めるプロセス
コンコーダンス(concordance)は、「患者と医療者が対等な立場で対話し、双方の価値観やライフスタイルを尊重しながら、治療方針について合意に至るプロセス」に焦点を当てる概念です。
服薬支援を中心に発展してきた考え方で、「患者中心の医療」や「共同意思決定」と強く関連しています。
日本の概念分析では、コンコーダンスは「当事者(患者)が意思決定の主体であるという相互尊重の関係性を基盤に、共通理解を形成し、その決定の責任を共有するプロセス」と整理されています。
つまり、治療の「中身」だけでなく、「どう決めていくか」という決め方そのものを大事にする考え方です。
3. 歯周病と定期検診:続かないのは「よくあること」
歯周病や定期検診は、アドヒアランスやコンコーダンスが特に重要になる場面です。
定期歯科受診行動について調べた研究では、一度も中断せずに定期通院を続けている人は全体の約25%で、残りの多くは中断したり、しばらくしてから再開したりと、多様なパターンを示すことが報告されています。
歯磨きの回数や間食の習慣、喫煙、転居など、生活の変化も定期受診の継続・中断・再開と関連していました。
歯周病は、炎症や骨の吸収が進行する慢性疾患であり、治療の成否は、
- 歯科医院での治療・クリーニング
- 毎日のブラッシング・歯間清掃
- 食生活・喫煙などの生活習慣
- 定期的なメインテナンス受診
といった要素が長期的に組み合わさることで決まります。
そのため、「1日3回しっかり磨いてください」「3か月ごとに必ず来てください」と伝えるだけでは不十分です。患者さんが置かれている生活の中で、「どこまでなら現実的にできそうか」を一緒に話し合い、現実的なスタートラインを決めていくことが重要になります。
たとえば、仕事が非常に忙しい患者さんに対して、理想どおりのセルフケアをいきなり求めるのではなく、「最初の2週間は夜だけ丁寧に時間をかける」「フロスは夜だけ使う」といった現実的な目標を患者さんと一緒に決めるやり方です。
次回の来院時には、「どれくらいできましたか?」と聞き、「半分くらいしかできなかった」と言われたとしても、「ゼロではなかった」部分を評価し、「その中でどの工夫がうまくいったか」を共に振り返ることが、アドヒアランスの視点です。
4. 根の治療(根管治療)が途中で終わってしまう理由
根管治療は、通院途中で中断されやすい治療として知られています。ある調査では、30代の約半数が「根管治療の通院を途中で中断した経験がある」と答えています。
中断理由としては、痛みがなくなったために「治った」と誤解した、通院回数が多く仕事や家事との両立が難しくなった、治療の必要性やリスクが理解しにくかった、といった点が挙げられています。
歯内療法のガイドラインでは、適切な症例選択を前提に、1回法の根管治療が複数回法と同等の成功率を示しうること、そして治療回数の減少が患者の通院負担と中断リスクの低減につながる可能性が示されています。
これは、治療方法そのものにもアドヒアランスの視点を取り入れようという試みだと解釈できます。
初診時の説明では、「何回かかります」だけでなく、「この歯の状態」「1回法と複数回法の違い」「仕事や家庭の状況を踏まえた現実的な通院ペース」などを患者さんと一緒に考え、治療計画を共同で決めることが重要です。
こうしたプロセスが、コンコーダンスの実践にもつながります。
5. 「来なくなる」にはたいてい理由がある
歯科受診を中断した人の背景を調べた研究では、歯科への恐怖や不安、痛みへの強いイメージ、費用に対する負担感、仕事や介護などの時間的制約、説明がよく分からなかったことによる必要性への疑問など、多様な要因が挙げられています。
定期受診行動の研究と合わせると、歯科通院の継続・中断は、単に「医療側の指示の問題」でも「患者側の意識だけの問題」でもなく、両者と生活環境の相互作用として理解する必要があることが分かります。
歯科医の側からは「予約を守らなかった」「勝手に来なくなった」と見える場面でも、患者さんの内側には、行きたい気持ちと行けない事情との葛藤や、「怒られそう」「申し訳ない」といった感情が存在していることが少なくありません。
中断後に再来院された際に、「どうして来なかったんですか?」と詰問するのではなく、「来てくださってありがとうございます。きっとお忙しかったり、いろいろ事情があったのだと思います。今後無理なく続けるには、どんな通い方がよさそうか一緒に考えてみましょう。」といった声かけをすることで、治療同盟とアドヒアランスを再構築することができます。
6. 歯科医療全体から見た「一緒に決める」ことの意味
歯科治療は、局所の症状を取るだけでなく、噛みやすさや見た目、発音、食事の楽しみ、さらには全身の健康にも影響します。
歯科治療が生活の質(QOL)にどのように関わるかを検討した研究では、継続的に歯科を受診している人ほど、口腔関連QOLや生活の満足度が高い傾向が示されています。
一方、歯科医療の質や経営を扱う分野では、患者との情報共有の仕方や説明の工夫、デジタルツールを使ったコミュニケーションの改善が重要なテーマになっています。
ここでも、「一方的に説明する」のではなく、「患者さんと状況や目標を共有しながら治療を進める」という方向性が重視されています。
こうした流れを踏まえると、歯科医療全体が少しずつ、
- 治療技術や材料の選択だけでなく
- 患者さんとの対話や共同意思決定
を含めた総合的なプロセスへとシフトしつつあると言えます。
7. 歯科におけるコンコーダンスの限界と現実的な活かし方
コンコーダンスは理想的な枠組みですが、歯科にそのまま100%適用しようとすると、いくつかの限界があります。
まず、専門性の非対称性です。根管治療やインプラント、矯正などの内容を、患者さんが専門家と同じレベルで理解することは難しく、ガイドラインで「この条件ではこの治療が望ましい」とされている領域では提供できる選択肢に限界があります。
また、歯科診療では患者が口を開けて器具が入っている時間が長く、診療中に十分な対話を行うことが構造的に難しいという制約もあります。
次に、患者さんのニーズの多様性です。すべてを自分で決めたい人もいれば、「大枠を理解したうえで、細かいところは専門家に任せたい」と考える人もいます。精神医療のリカバリー支援ガイドでも、「すべてを自分で決めることが負担になる」ケースがあることが指摘されており、常に完全な共同意思決定が最適とは限らないことが示されています。
さらに、歯科は不可逆的な処置が多く、「いくら患者が望んでも提供できない治療」が存在します。保存不可能な歯を無理に残す、リスクが極端に高い補綴やインプラントを選ぶ、といった希望に対しては、専門職として「できないものはできない」と伝えなければならない場面があります。
こうした現実をふまえると、歯科における現実的なコンコーダンスの使い方は、「医学的に許容できる範囲のなかで」「患者さんの価値観と生活に合った選択肢を一緒に選ぶ」枠組みとして位置づけることだと考えられます。
日常診療の土台としてはアドヒアランス(わかりやすい説明と現実的な計画づくり)を重視し、そのうえで、歯周病の長期管理や根管治療・多数歯補綴計画、矯正・ナイトガードなど、「患者さんの価値観や生活スタイルが治療結果に強く影響する場面」でコンコーダンス的な対話を重点的に取り入れる、という使い方が現実的です。
8. いまは「移行期」:歯医者さんと一緒に治す時代へ
ここまで、コンプライアンス(言われたことを守るかどうか)、アドヒアランス(話し合って決めた計画をどこまで一緒に続けられたか)、コンコーダンス(どんな治療にするかを一緒に決めるプロセス)という三つの考え方を、歯周病や根管治療、定期検診の場面に当てはめて整理してきました。
日本の医療、とくに歯科の現場は今、「コンプライアンス的な発想」がなお残っている一方で、「アドヒアランス」を軸に据え、「コンコーダンス」を部分的に取り入れようとする「移行期」にあると捉えるのが現実に近いと思われます。
患者さん側から見れば、「続けられない自分が悪い」とだけ考えるのではなく、「このやり方は、自分の生活に合っていないのかもしれない」と歯科側に伝えてみることが、自分に合った治療につながります。歯科医側から見れば、「守らない患者さん」ではなく「一緒に工夫するパートナー」として患者さんを見ることで、会話と治療の選び方が変わっていきます。
歯医者さんは、「治してもらう場所」から、「自分の口を、自分と歯科チームで一緒に守る場所」へ。
コンプライアンス、アドヒアランス、コンコーダンスという言葉は、その変化を支えるキーワードとして、患者さんと医療者が共通の言葉として少しずつ共有していけるとよいと考えます。
参考文献
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https://cir.nii.ac.jp/crid/1390575882596958848
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