産業歯科医がいなくても、職場の口腔保健指導はできる――足りないのはつなぐ手順
職場の口腔保健指導は、産業歯科医がいなくても外部の歯科に頼んで行えます。健診で歯科受診を勧めた人へ、受診の案内と職場の指導の案内をどう届けるかを考えます。
受診勧奨を受けた人を口腔保健指導へつなぐ手順を、事業者が用意できます。
目次
1. 産業歯科医の選任を前提にしない理由
産業歯科医には選任義務がなく、法令上の職務も有害業務の歯科特殊健診に結び付いています。
労働安全衛生規則(安衛則)第14条の見出しには「産業歯科医」があります。しかし、産業医と違って選任義務はありません。同条第5項は、政令が定める有害業務に常時50人以上の労働者を従事させる事業場で、事業者が歯やその支持組織について歯科医師の意見を聴くよう定めた規定です。第6項は歯科特殊健診を行った歯科医師からの勧告を定めています1。
歯科特殊健診は塩酸や硫酸など、歯やその支持組織に有害な物質を扱う人を対象とする健診です。対象業務は労働安全衛生法(安衛法)第66条第3項と同法施行令第22条第3項が定めています2,3。
この2点から、事務職を含む職場全体の口腔保健指導では、産業歯科医の配置を前提にできません。事業者が取り組む経路は、次の安衛法第69条にあります。
2. 事業者が外部の歯科を使える法令上の経路
事業者は、安衛法第69条の健康保持増進措置として、外部の歯科に口腔保健指導を依頼できます。
一般健診への歯科追加が見送られた理由
仕事が原因になることや仕事で悪くなること、就業上の措置について、根拠が乏しいことが理由です。
「労働安全衛生法に基づく一般健康診断の検査項目等に関する検討会」は、2024年11月の中間とりまとめで、一般健康診断に歯科健診を加える提案を「困難」としました。この中間とりまとめは2025年12月に公表された検討会報告書に別添として収められています。理由は、業務起因性又は業務増悪性(仕事が原因になる、または仕事で悪くなること)と、就業上の措置等のエビデンスが乏しいことでした4。検討会では「新たな歯科に関する質問項目を追加するよりも、既にある特定健康診査の質問項目を有効に活用することが効率的ではないか」という意見も出ていました4。
令和8年版厚生労働白書は同報告書を踏まえ、口腔保健指導の好事例を広めて医療機関の受診につなげる方針を示しています5。
69条の口腔保健指導と事業場外資源
一般健診への歯科健診の追加が見送られても、事業者による口腔保健指導には別の経路があります。
同じ検討で、眼底検査と骨粗鬆症検査の追加も、業務起因性又は業務増悪性等のエビデンスが乏しいことを理由に見送られました4。その後の行き先は、歯科・眼底検査・骨粗鬆症検査で異なります。眼底検査は眼科受診につなげる方策の検討が提案され、骨粗鬆症検査は強化月間などの機会に周知する方針です。歯科では、事業者が行う健康保持増進措置として口腔保健指導を推進するとされました4。報告書に条文番号は書かれていませんが、安衛法第69条がこの措置を定めています6。健康保持増進のための指針は、「健康保持増進措置」を第69条第1項の措置と定義しています6。3つのうち、69条に基づく事業者の措置を行き先に挙げられたのは歯科だけです。
事業場における労働者の健康保持増進のための指針(THP指針)は、安衛法第69条第1項が定める努力義務に関する措置の一つとして「歯と口の健康づくりに向けた口腔保健指導」を挙げています。口腔保健指導とは、ここでは歯と口の健康づくりに向けた指導です。THP指針がいう事業場外資源は、事業場の外で支援を頼める先を指します。事業場外資源の候補は、地域の歯科医師会などです6。事業者は、求める指導を提供できるか、情報を適切に管理できるかを確かめて依頼先を選べます。依頼と費用負担を決めるのは事業者です6。
中間とりまとめは口腔保健指導の好事例を広めることなどを通じて、歯科受診へつなぐ方策を検討するよう提案しました4。この記事では、健診で受診を勧められた人へ職場の指導も案内する手順を提案します。
3. 問診票の質問を起点にした歯科受診勧奨
問診票にある歯科の質問を起点にした受診勧奨が2025年に労働衛生課長名で依頼されました。
一般健康診断問診票の質問21は「食事をかんで食べる時の状態はどれにあてはまりますか。」です。特定健康診査の「標準的な質問票」にある質問13と同じ項目で、前節の検討会で活用するのが効率的ではないかという意見が出た「既にある特定健康診査の質問項目」の一つです4,7。
2025年7月1日、厚生労働省労働基準局安全衛生部の労働衛生課長は、全国労働衛生団体連合会など通知に列記された団体へ協力を依頼しました。依頼の内容は、この質問に対して「歯や歯ぐき、かみあわせなど気になる部分があり、かみにくいことがある」または「ほとんどかめない」と回答した労働者に、歯科医療機関への早期受診を確実に勧奨することです。あわせて、日本歯科医師会のサイトで公開されている歯科早期受診勧奨リーフレットを配布することも示されました7。
続く8月26日には職場の健康診断実施強化月間の取り組みとして、同じリーフレットを活用することが「健康診断以外の産業保健に関する取組の周知・啓発」に掲げられました。がん検診や女性の健康課題、眼科検診と並ぶ扱いです8。
検討会報告書にはこれら2つの通達によって「要請・周知を行っている」と記されています4。労働衛生課は、健診の場で歯科受診を勧める要請を既に出しています。
4. 受診勧奨から口腔保健指導への手順が示されていない
厚生労働省は職場の口腔保健指導を「十分に実施されているとは言えない」と評価し、受診勧奨から指導への手順も通達には示していません。
報告書に収められた2024年11月の中間とりまとめは、口腔保健指導について「現状では十分に実施されているとは言えない」と評価しました4。中間とりまとめは検討会の構成員の意見を含む文書で、厚生労働省が公表しています。この評価が行われたのは2024年で、受診勧奨の通達はその翌年に出されました。報告書本文には中間とりまとめを受けて要請や周知を行っていると記されています4。
2025年の2つの通達は受診勧奨の依頼とリーフレットの周知を扱っています7,8。勧奨を受けた労働者を事業場の口腔保健指導へつなぐ手順は、どちらにも示されていません7,8。受診と口腔保健指導をどう案内するか、その手順づくりが、事業場に残された課題です。
職場の口腔保健指導の根拠になるTHP指針を、高年齢者の労働災害防止の指針や、治療と就業の両立支援指針と比べます。いずれも2026年2月10日に改正され、公表された指針です。
| 指針(いずれも2026年2月10日改正・公表) | 口腔に関する記載 |
|---|---|
| 健康保持増進のための指針(THP指針) | 運動指導や栄養指導などと並んで、口腔保健指導を挙げる6 |
| 高年齢者の労働災害防止のための指針 | 確認した本文に「口腔衛生」の語は見当たらない9 |
| 治療と就業の両立支援指針 | 確認した本文に「口腔衛生」の語は見当たらない10 |
高年齢者向けの指針の前身である旧エイジフレンドリーガイドラインには「口腔衛生」という言葉が2か所ありました11。職場の口腔保健指導を進める根拠として、事業者はTHP指針を使えます。
5. 検討会への歯科の提案と、医政局の職域実証
日本歯科医師会は検討会に歯科健診の追加を提案し、医政局の実証では法整備がされていない中での実施方法が課題になりました。
日本歯科医師会は一般健診に関する検討会の第7回に参考人として資料を提出し、歯科健診の追加を提案しました12。報告書に掲載された構成員名簿の所属や肩書には、歯科団体や歯科を専門とする肩書が見当たりません4。名簿から確認できるのは、この検討会の構成までです。
医政局では、職域での歯科健診を実証する就労世代の歯科健康診査等推進事業が行われてきました。その報告書の「実証での工夫点と課題」には、「法整備がされていない中でどのように実施したらよいか」という現場の課題が挙げられています。労働安全衛生法に関する法整備や、社内マニュアルを整える必要性にも触れています13。
職域で誰がどの範囲で実施するかは、労働安全衛生の枠組みでの論点です。歯科の提案と実証は別の場で進み、実証の報告書は、法整備がされていない中での実施方法を課題に挙げています。
6. 就業制限を前提にしない受診勧奨と指導
歯科の事後措置は、受診勧奨と口腔保健指導を中心に置けば、就業制限(健診の結果で仕事を制限すること)を前提にしません。
事後措置とは健診結果を受けて行う対応です。
対比となるのは骨粗鬆症検査です。報告書はその事後措置について、厚生労働科学研究の報告にある「高齢の女性労働者の就業機会を損ねてしまうことにつながりかねないという負の側面」という指摘があったと記しています4。見送りの理由は業務起因性等のエビデンス不足でしたが、この指摘は事後措置の置き方しだいで労働者に不利益が生じ得ることを示しています。
歯科について報告書が挙げた理由には、就業上の措置等のエビデンスが乏しいことも含まれていました4。これは、一般健診の検査項目に歯科を加えるかどうかを判断した際の理由です。この点には、69条に基づく健康保持増進措置の設計で答える余地があります。 受診勧奨と口腔保健指導を中心に置けば、事後措置は就業制限を前提にしないからです。
報告書は、歯科疾患に業務起因性又は業務増悪性があるとされた場合の運用上の課題も挙げました。歯科医師が歯周組織まで検査すると受診者1人当たり20分以上かかり、全国の事業場へ歯科医師が出向いて健診を行うことが現実的かどうかと、報告書は問いかけています。検査キット等の代替手法も、目的に応じて確立することが課題とされています4。勧奨と指導を軸にする利点は、歯科医師が全国の事業場へ出向く健診体制を整える前に着手できる点です。受診勧奨には既存の問診票を活用でき、口腔保健指導には事業場外資源を使えるためです4,6,7。
骨粗鬆症と歯科は病態が異なります。この比較から言えるのは就業制限を前提にしない手順を組み立てる余地がある、ということです。
7. 事業者が決める受診と指導の案内手順
事業者が外部の歯科に口腔保健指導を依頼し、企業の産業保健担当者が受診を勧められた人への案内を担う手順を提案します。
ここからは、事業場で決める手順の提案です。事業者はまず、自社で健診後の案内を担当する人と、指導を依頼できる外部の歯科の候補を確認します。
- 企業の産業保健担当者など、健診後の案内を担う人を事業者が決めます。受診勧奨を受けた労働者には歯科医療機関への受診を案内し、口腔保健指導は本人の意向を確かめて別に案内するという流れです。
- 事業者は外部の歯科と指導内容や情報の扱いを相談し、依頼先と費用負担を決めます。歯科医師が伝えるのは、提供できる指導内容です。
- 担当者は案内と指導の実施状況を記録します。事業者はその記録を、取組の見直しに使います。
個人の受診結果を事業場へ戻す範囲は、本人の意向と情報管理を踏まえて決める必要があります6。
安衛則第14条第5・6項の歯科医師の職務は、有害業務の歯科特殊健診に結び付いています1。ここで提案するのは、その法定の職務を広げることではなく、事業者が安衛法第69条の健康保持増進措置として口腔保健指導を行うことです6。
指導の内容や進め方を考えるときは、8020推進財団の手引きにまとめられた職域の事例や介入研究を参考にできます14。
8. まとめ:産業歯科医がいなくても始められる
産業歯科医がいなくても、事業者は口腔保健指導を外部の歯科に頼んで行えるのです。足りないのは、健診で受診を勧めた人をそこへつなぐ手順です。
安衛法第69条に基づく措置を示すTHP指針は、口腔保健指導と事業場外資源を挙げています6。2025年の通達は受診勧奨を依頼しましたが、口腔保健指導へつなぐ手順は示していません7,8。通達が出る前の「十分に実施されているとは言えない」という評価4を踏まえ、事業場ごとに案内の手順を決めることが次の課題です。
この記事では、事業者が案内の担当者と依頼先の候補を確認し、指導内容や費用負担、記録方法を決めることを提案します。その手順では、企業の産業保健担当者が本人の意向を確かめ、受診と指導を別に案内します。歯科医師が提供できる指導を伝え、行政に働きかける人がこの手順を安全衛生行政の検討課題として示す、という提案です。
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参考文献
- 厚生労働省法令等データベース「労働安全衛生規則」
- e-Gov法令検索「労働安全衛生法施行令」第22条第3項
- 労働省「労働安全衛生法および同法施行令の施行について」(昭和47年9月18日 基発第602号)
- 厚生労働省「労働安全衛生法に基づく一般健康診断の検査項目等に関する検討会 報告書」(2025年12月24日公表。確定版PDF・全25頁。歯科の項は通し21〜23頁)
- 厚生労働省「令和8年版厚生労働白書」第2部 現下の政策課題への対応(2026年9月29日公表)第1章 180頁
- 厚生労働省「事業場における労働者の健康保持増進のための指針」(昭和63年9月1日 健康保持増進のための指針公示第1号、令和8年2月10日 同公示第12号による改正、全7頁)
- 厚生労働省労働基準局安全衛生部労働衛生課長「一般健康診断問診票を活用した歯科受診勧奨について(協力依頼)」(令和7年7月1日 基安労発0701第1号)
- 厚生労働省労働基準局安全衛生部長「『職場の健康診断実施強化月間』の実施に関する協力依頼について」(令和7年8月26日 基安発0826第4号、全22頁)
- 厚生労働省「高年齢者の労働災害防止のための指針」(令和8年2月10日 高年齢者の労働災害防止のための指針公示第1号、令和8年4月1日適用、全10頁)
- 厚生労働省「治療と就業の両立支援指針」(令和8年厚生労働省告示第28号、令和8年2月10日、令和8年4月1日適用、全29頁) [PDF]
- 厚生労働省「高年齢労働者の安全と健康確保のためのガイドライン」(エイジフレンドリーガイドライン、基安発0316第1号・令和2年3月16日、全35頁。令和8年4月1日「高年齢者の労働災害防止のための指針」の適用により廃止)
- 日本歯科医師会 提出資料(第7回 労働安全衛生法に基づく一般健康診断の検査項目等に関する検討会、2024年9月20日)
- 厚生労働省「就労世代の歯科健康診査等推進事業に係る調査研究等一式」報告書(2024年)
- 8020推進財団「職域等で活用するための歯科口腔保健推進の手引き」(2022年度調査研究事業)
執筆・監修 中村 瞬
かわせみデンタルクリニック 院長 / 歯学博士(歯科麻酔学)/ 日本歯科麻酔科学会 認定医
医療記事を数多く執筆。TV取材多数
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