ナフサとエチレンの不足で何が起こる?歯科用局所麻酔薬キシロカインの供給と石油依存を考える

目次
- はじめに:なぜ「石油」と関係があるのか
- キシロカイン(リドカイン)はどんな薬?
- キシロカインはどのように「作られる」のか
- 歯科用カートリッジの構造と原材料
4.1 カートリッジ本体(ガラス/プラスチック)
4.2 プランジャー(ゴム栓)
4.3 セプタム(ゴムの膜)とアルミキャップ - カートリッジの「外側の包装」と石油とのつながり
- ナフサ不足とエチレン減産がもたらす影響
- まとめ:今後、私たちへの影響は?
- よくある質問(Q&A)
1. はじめに:なぜ「石油」と関係があるのか
歯科でよく使われる局所麻酔薬「キシロカイン」は、薬そのものも、薬が入っているカートリッジや包装も、多くの部分が「石油化学製品」と深く結びついています。
石油そのものを注射しているわけではありませんが、「石油から作られた化学原料」や「石油由来のプラスチック」がなければ、今のような形で安全・安定に使うことはほぼ不可能です。
2. キシロカイン(リドカイン)はどんな薬?
「キシロカイン」は商品名で、有効成分の一般名は「リドカイン(lidocaine)」という局所麻酔薬です。
歯を削るときの痛みを抑えたり、救急・循環器領域では不整脈の治療に使われることもある、歴史の長い薬です。
リドカインは「アミド型局所麻酔薬」に分類され、神経の電気信号(ナトリウムイオンの出入り)を一時的に止めることで「痛みを感じにくくする」仕組みを持っています。
3. キシロカインはどのように「作られる」のか
3-1. 出発点は「芳香族化合物」=石油から作られる化学原料
リドカインの多くの合成ルートでは、2,6-ジメチルアニリンという化合物が出発原料の一つとして使われます。
2,6-ジメチルアニリン自体は、「2,6-ジメチルフェノール」などの芳香族化合物から作る方法が知られており、これらの芳香族化合物は、一般に石油から得られる「ベンゼン環をもつ化学物質」の仲間です。
つまり、
- 原油
- ↓(精製)
- ナフサなどの留分
- ↓(「クラッカー」などで分解/改質)
- ベンゼン・キシレンなどの芳香族化合物
- ↓(さらに化学反応を重ねる)
- 2,6-ジメチルアニリン → リドカイン
といった形で、「石油 → 芳香族化合物 → 医薬品原料 → リドカイン」というつながりがあります。
3-2. 2つの大きなステップでリドカインができる
代表的な合成法では、次のような大きなステップを経てリドカインが作られます。
- 2,6-ジメチルアニリンに、「クロロ酢酸エステル」などの反応性の高い化合物を反応させて「中間体」を作る。
- その中間体にジエチルアミン(これも石油由来原料から作られるアミンの一種)をつなげて、リドカインの骨格を完成させる。
この過程では、アセトンなどの有機溶媒や、石油由来の溶媒(場合によっては「石油エーテル」など)が精製工程で使われることもあります。
3-3. 「石油からできている」という意味
ここで重要なのは、「石油そのものを注射している」のではなく、「石油を出発点とした多数の化学反応を経て、まったく別物の医薬品に作り変えている」という点です。
最終的なリドカイン製剤は、高い純度で管理され、有害な不純物を取り除いたうえで医薬品グレードとして供給されています。
4. 歯科用カートリッジの構造と原材料

歯科で使う「キシロカインカートリッジ」は、単に薬液が入ったガラスの小瓶ではなく、精密に設計された「医療機器パーツの集合体」です。
一般的な歯科用局所麻酔カートリッジは、次のような部品で構成されています。
- ガラスの円筒(シリンダー)
- プランジャー(ゴム栓・ストッパー)
- セプタム(ゴムの膜・ダイアフラム)
- アルミキャップ(アルミのリング)
- 外側を覆うラベル(多くはプラスチックフィルム)
4.1 カートリッジ本体(ガラス)
多くのカートリッジは、ホウケイ酸ガラス(Type Iガラス)が使われており、薬液との反応性が低く、内容液を長期に安定して保管できるようになっています。
4.2 プランジャー(ゴム栓)
プランジャー(ストッパー)は、カートリッジの後ろ側にあるゴム栓で、注射器のハープーンが引っかかって薬液を押し出す部分です。
多くの製品では、ブロモブチルゴム(bromobutyl rubber)などの「ブチル系合成ゴム」が使われており、ラテックスフリー(天然ゴム由来タンパク質を含まない)でアレルギーのリスクを減らす設計になっています。
ブチルゴムは、イソブチレンやイソプレンといった石油由来モノマーから作られる合成ゴムで、これらはエチレンなどと同様、ナフサを原料とする石油化学コンビナートの製品群の一部です。
また、多くのプランジャーは「シリコーン処理」されており、滑りをよくして注射時の操作を滑らかにしています。
シリコーンオイル自体はシリコンと有機基からなる化合物ですが、製造工程の一部や、添加される充填剤・補助剤には石油由来の有機化合物が使われることが一般的です。
4.3 セプタム(ゴムの膜)とアルミキャップ
カートリッジの前面には、針が刺さる部分としてセプタム(ダイアフラム)と呼ばれるゴムの薄い膜があります。
これもプランジャーと同様に、ブロモブチルゴムなどの合成ゴム(ラテックスフリー)が用いられ、針が刺さっても薬液が漏れにくいよう設計されています。
このセプタムを固定しているのがアルミキャップ(アルミニウム製のリング)です。
アルミニウムは金属鉱石から作られるため、石油そのものではありませんが、溶解・圧延・成形などの工程で大量のエネルギーが必要であり、そのエネルギー源として石油や天然ガスなどの化石燃料が使われるケースが多く、エネルギー面で石油と結びついています。
5. カートリッジの「外側の包装」と石油とのつながり
歯科用カートリッジは、さらに外側のパッケージに収められて出荷されます。
- トレイ:PS(ポリスチレン)
- ラベル:PET(ポリエチレンテレフタレート)
- ピロー包装:PETフィルム+金属(アルミ蒸着など)

5-1 トレイ(PS:ポリスチレン)
PS(ポリスチレン)は、スチレンというモノマーを連結したプラスチックで、食品トレイや緩衝材など、日常生活でも広く使われています。
スチレンはエチルベンゼンから作られ、エチルベンゼンはベンゼンとエチレンから合成されますが、これらはすべてナフサを原料とする石油化学製品です。
5-2 ラベル(PET)
ラベルに使われるPET(ポリエチレンテレフタレート)は、ペットボトルと同じ素材で、透明性と強度に優れています。
PETは、テレフタル酸(またはそのエステル)とエチレングリコールを縮合させて作られますが、どちらも石油やナフサ由来の化学原料から製造されるのが一般的です。
5-3 ピロー包装(PET+金属)
複数のカートリッジをまとめる「ピロー包装」には、
- PETなどのプラスチックフィルム
- 内容物を保護するためのアルミ蒸着層(薄い金属層)
などが組み合わさることが多く、これらも同様にエチレン・パラキシレンなどの石油由来原料を出発点とするプラスチックから作られています。
このように、カートリッジ本体、ゴム部品、外装トレイ、ラベル、ピロー包装まで、ほぼすべてが「石油から作られた化学製品」と、直接または間接的につながっています。
6. ナフサ不足とエチレン減産がもたらす影響
6-1 ナフサ → エチレン → プラスチックという流れ
医療用プラスチックの多くは、次のような流れで作られます。
- 原油を精製して得られる「ナフサ」
- ナフサを高温で分解する「ナフサクラッカー」でエチレン・プロピレンなどの基礎原料を製造
- エチレンやプロピレンから、ポリエチレン(PE)、ポリプロピレン(PP)、ポリスチレン(PS)、PETなどのプラスチックを合成
歯科用カートリッジやその包装に使われるPS・PET・PPなどは、このエチレン・プロピレンなどを出発点にして作られています。
6-2 2026年前後のナフサ供給不安とエチレン減産
2026年にかけて、中東情勢の悪化などを背景に、ナフサの供給不足が懸念され、日本や韓国の石油化学メーカーがエチレンなどの生産を抑制していると報じられています。
日本では、三菱ケミカルなどがナフサ不足を理由にエチレンの生産を減らし、取引先に供給制限を通知したという報道もあります。
エチレンは、
- ポリエチレン(PE)
- 一部のPET原料(エチレングリコール)
- スチレンやPVCなど、他の多くのプラスチックの原料
にも関わってくるため、医療用包装材やプラスチック部品の原料価格の高騰や供給不安につながる可能性があります。
6-3 もともとの供給制限との「ダブルパンチ」
歯科用局所麻酔薬(キシロカイン製剤)は、近年、原薬製造や品質問題、需要増加などを背景に、もともと供給制限がかかっていた時期があります。
そこに加えて、
- カートリッジや包装材に使うプラスチック・ゴム材料
- それらの原料であるエチレン・プロピレン等
- さらにその源流であるナフサ
の供給が不安定になると、薬そのものに加えて、容器や包装材料の確保が難しくなるリスクが高まります。
実際に、国際的には包装用プラスチックの一部を「バイオナフサ由来」の原料に切り替える動きも出ていますが、日本の包装業界がバイオPPやバイオPEを一部で使い始めている段階であり、医療用包装がすぐに完全に切り替わる状況ではありません。
7. まとめ:今後、私たちへの影響は?
今回は、歯医者の「局所麻酔薬が足りない」問題 に続いて、キシロカインがどうやって作られて私たちのところに届くのか、エチレンと歯科の意外な深い関係 との関連性も含めて調べました。
- キシロカイン(リドカイン)の有効成分は、石油から得られる芳香族化合物などを出発点とした化学反応の積み重ねで合成されています。
- カートリッジ本体、ゴム栓(プランジャー)、セプタム、アルミキャップ、外装トレイ(PS)、ラベル(PET)、ピロー包装(PET+金属)など、周辺の多くの部材も石油由来のプラスチック・合成ゴム・金属加工品に依存しています。
- もともと局所麻酔薬は供給制限がかかりやすい状況にあり、さらにナフサの供給不足によるエチレン減産が続くと、薬そのものだけでなく、容器・包装材の確保が難しくなり、供給不安がさらなる長期化・拡大する可能性があります。
とはいえ、医療用製剤は社会的優先度が高いため、メーカーや行政は優先的な原料配分や代替材料の検討などを行い、現場への影響を最小限にするよう努力することが見込まれます。
8. よくある質問(Q&A)
Q1. 「石油から作られている」と聞くと、体に悪そうで不安です。
A. 現代の多くの医薬品やプラスチック製医療機器は、石油を出発点とする化学原料から作られていますが、最終製品はまったく別の化学物質であり、厳しい品質管理と安全性評価を経たものです。
石油そのものを注射しているわけではなく、「石油を原料にした化学工業」を経て作られた精製済みの薬と容器を使っています。
Q2. ナフサやエチレンが不足すると、歯医者さんで麻酔が打てなくなるのですか?
A. 現時点(記事作成時点の2026/3/19)で元々の供給不足の問題があり、かなり厳しい状況に追い込まれています。回復の見込みは今のところ経ってはいない状況です。ここから石油由来のナフサやエチレンの極端な不足が長く続けば、局所麻酔薬の供給に更なる影響が出る可能性は高いと思われます。
そのため、「すぐに麻酔が使えなくなる」といった心配を日常的にする必要はありませんが、現場レベルでは一部製品の納期遅延やメーカー変更などの形で影響が表れる可能性があります。
Q3. プラスチックやゴムの部品から薬液に有害なものが溶け込んだりしませんか?
A. 医療用のカートリッジやゴム栓・セプタムは、内容薬液との相性(溶け込みやすさ、吸着、反応性など)を評価したうえで選ばれており、国際的な基準に従って安全性が確認された材料が使われています。
もちろん、ロットごとの品質検査や長期安定性試験も行われており、その条件を満たした製品だけが医療現場に供給されています。
Q4. バイオプラスチックを使えば石油問題は解決するのですか?
A. 一部の包装材などでは、廃食油などから作られた「バイオナフサ」を原料とするバイオPP・バイオPEが試験的に導入されているという話もありますが、現時点では全ての医療用プラスチックをすぐに置き換えられる段階にはありません。
医療では安定供給や安全性の検証に時間がかかるため、石油由来原料とバイオ由来原料を組み合わせながら、少しずつ移行していく形になると考えられます。
参考文献
- Synthesis method of lidocaine (2019)
リドカインの合成方法(2,6-ジメチルアニリン等を用いる工業的製法)
https://patents.google.com/patent/CN112521298B/en - A Technical Guide to the Synthesis and Purification of Lidocaine (Year not clearly stated)
リドカインの合成と精製に関する技術ガイド
https://www.benchchem.com/pdf/A_Technical_Guide_to_the_Synthesis_and_Purification_of_Lidocaine.pdf - Synthesis of Lidocaine – Chemistry Laboratory Handout (2021)
リドカイン合成の教育用実験手順書
https://www.cerritos.edu/chemistry/chem_212/Documents/Lab/10_lidocaine.pdf - How to Make Lidocaine Powder? (2025)
リドカイン粉末の合成・精製に関する概要解説
https://www.supplybenzocaine.co.uk/how-to-make-lidocaine-powder.html - Anatomy Of The Zeyco Dental Cartridge (2024)
歯科用カートリッジの構造と各部品の材質に関する解説
https://zeyco.com/en/anatomy-zeyco-dental-cartridge/ - THE MECHANICS OF THE DENTAL ANESTHETIC CARTRIDGE (Year not clearly stated)
歯科用局所麻酔カートリッジの構造と機能に関する技術資料
https://cdn.vivarep.com/contrib/vivarep/media/pdf/2_7334_ClinicalTipTheMechanicsoftheDentalAnestheticCartridge_20220628225853166.pdf - Handbook of Local Anesthesia – Cartridge Components (Year not clearly stated)
局所麻酔用カートリッジの構成要素に関する教科書記述
https://elsevier-elibrary.com/contents/fullcontent/58800/epubcontent_v2/OEBPS/xhtml/B9780323074131000078.htm - Cartridge – Local Anesthesia in Pediatric Dentistry (2022)
小児歯科における局所麻酔カートリッジ構造の解説
https://www.dentalcare.com/en-us/ce-courses/ce325/cartridge - Japan’s packaging industry turns to bio-polypropylene (2025)
日本の包装業界におけるバイオPP導入とナフサ由来原料の動向
https://www.argusmedia.com/en/news-and-insights/latest-market-news/2727616-japan-s-packaging-industry-turns-to-bio-polypropylene - Mitsubishi Chemical cuts ethylene output due to possible supply shortages (2026)
ナフサ不足懸念に伴う日本でのエチレン減産に関する報道
https://www.japantimes.co.jp/business/2026/03/10/companies/mitsubishi-chemical-cut-ethylene-production/ - Japan, S. Korea petrochemical industry slows output on Iran war (2026)
中東情勢悪化によるナフサ・エチレン供給への影響に関する報道
https://finance.yahoo.com/news/japan-korea-petrochemical-industry-slows-091941544.html
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